上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
あーあー。今年36歳か…。昨日、白髪が1本生えているのを発見してしまい
ショックで脳溢血で死にそうになりました。
3回目の年女が巡って来たんですが、初夢で
フェラチオしてた事も有って、2回目の年女の時の姫始めの事を
今日は書いてみようかと思います。
***************************
「ラサを楽しんでますか?」ゲストハウスの中庭でくつろいでいると
人民解放軍の陳がやって来た。彼とは敦煌からゴルムドへ抜けるバスの中で出会い、ゴルムドからラサへ行くバスでも一緒の席になった。当時の中国はゴルムド~ラサ間1000km余りは外国人が気安く立ち入る事の出来ない
未解放治区で、外国人の私の乗車は認められなかった。しかし、顔に泥を
塗り耳の聞こえない知的障害者の振りをして私は何とかそのバスに乗り
込み、事情を察知した彼が道中ずっと私を警察の検問から匿ってくれて
いた。そして、道中は標高5500mの過酷な場所に初めての事で高山病に
苦しむ私を解放してくれたのも彼だった。ラサに無事着き、運良くチベット正月までこの地で迎えられたのはひとえに人民解放軍の彼があってこそ。
私は彼をカフェに誘った。しかし彼は私を友達に紹介したいと言い、
私達は彼の友達の店へ行く事になった。
彼の友達は漢民族で、「陳は俺の弟分だ。とても良い奴だ。」と私に
言って来た。そこでお昼をごちそうになり、その後私達はラサの町を
散策してつたない中国語で会話を続けた。冗談も言ってたようで結構一緒に笑っていた。「ねえ、人民解放軍はラサでどんな事をするの?」と私が
訊いた時、丁度向こうから4路のバスが来た。「じゃあ、見せて上げる。」と彼とそのバスに乗り、鳥葬の山の麓の手前で下りた。目の前には
「人民解放軍拉薩局」と言うような看板も出ていて、いかにもな門前
だった。「絶対、喋っちゃ行けない。」と陳に言われるがまま、こっそりと後に続いて敷地内へ。
田舎の小さな学校のような建物の一つに彼は私を招き入れた。
中はみすぼらしいながらも掃除の行き届いた1ルームと言った感じ。椅子に座って、彼とお茶を飲んで彼から人民解放軍の軍の規律書を見せて貰う。
何だか良く分からないが赤い事が沢山厳しく書いてあるようだった。
突然、彼は規律書を閉じて私を抱き寄せて来た。抱き寄せながらも
「本当はこんなコトしては行けないのに。」と苦しそうに呟いては、
ますます私の背中に回した腕に力が籠めてきた。
そんな事を言うから苦しくなるんだろうと、唇で彼の口を塞いでみたら
ブルブルと震え出した。これは絶対童貞だ…。確信した私は服を脱ぎ始めると、彼は慌てて制して来た。「軍規違反だから。」と頑なに拒否をする。
でも、私もそろそろ姫始めやりたいし。
「大丈夫。中日友好!」能天気な私は彼をベッドに押し倒し、彼の服を脱がせる。まあまあなサイズのチンコを見て、「有り難う。貴方は私にラサの旅をくれた。私は貴方に忘れがたい快楽をあげるわ。」と囁いて彼のものを口に含むと「ダメ、そんな…ああ、ダ、ダメ…軍規が…ダメ!」彼の中で
理性と性欲が戦っているようだったがやはり私のテクに21歳の童貞が
太刀打ち出来るはずが無い。彼は激しく悶えて直ぐにイッテしまった。
平然と口をすすぐ私の横で呆然と頭を抱え込む彼。「ああ、何と言う事をしてしまったんだろう。何と言う事を…。」よく見たら震えている。
「中日友好だってば。あ、帰るからバス代2元(当時24円)ちょうだい。」礼はきっちり返した!と気分のスッキリした私は、落ち込む彼を
その場に残して2元貰って、口を拭いながら4路のバスに乗って一人で宿に帰った。
ラサの後は中国の南部や東南アジアを周り、日本に帰国してまた
学校とホステスのアルバイトに明け暮れてた秋の終わりに陳から
手紙が来た。軍規違反した事をアレからずっと悩み、春の終わりに
人民解放軍を脱退したこと。敦煌に帰り実家のガソリンスタンドで
働いている事。夏に訪れる観光客を見るたびに私への恋しさが募って来ること。どうか、敦煌に来て欲しい。愛してる。とか色々と書いてあって、
細かいニュアンスが分からないので家庭教師の中国人留学生に手紙を
見せたら「ルーさん!アナタ、中国で彼に何をした?こんな表現、
結婚する相手にしか言わない!凄い問題ヨ!」と血相を変えて怒られた。
*****************************
さて、3回目の子年。今年、私が最初に抱く男は何と言って悶えて
くれるんだろう?